

「終生飼育はしないのですか?」
これまで何度もその問いと、向き合ってきました。
できるなら、そうしたい気持ちもあります。
けれど私は、命を理想だけで抱くことはできません。
終わりを決めるのは、私です。
それは、軽く決められることではありません。
自然ではなく、人の判断です。
その重さを引き受けることも、養鶏だと思っています。
私が大切にしているのは、
命の長さではなく、
生きている時間のあり方です。
どれだけ長く生きるかよりも、
その時間をどう過ごしているか。
砂浴びをし、
草をついばみ、
群れの中で関係を築き、
太陽や風の中で一日を終えること。
その一日一日の積み重ねが、
その鶏の一生だと思っています。
終生という言葉は美しく聞こえます。
しかし、年齢を重ねることで、
体への負担が大きくなることもあり、
群れの関係性や密度のバランスにも変化が生まれる。
体調の変化に伴い、
健康管理の難しさが増すこともあります。
その現実とも、向き合わなければならないと思っています。
長く生きることが、
その鶏らしい時間を守ることとは限らない。
そして、営みが続かなければ、
群れそのものを守れなくなる。
理想だけでは、続けていくことはできません。
続けられる形を選ぶことも、私の責任です。
その中で、
役目を終えた鶏たちは、
決して無駄にはしません。
お肉として、次の命へとつなぎます。
私は、命を消費している自覚があります。
だからこそ、
生きている時間と、その終わり方に責任を持ちたい。
長さではなく、
生きている時間。
その一瞬一瞬を、大切にしたい。
それが、私の選択です。
–平飼い放牧卵itadaki–
暖鷄/NaturalEggLab

生き方は、質になる。
三年ほど前の投稿で紹介した研究をあらためて。
東京農工大学の研究チームによる報告では、
放牧環境で飼育された採卵鶏の卵は、
屋内飼育(ケージ/平飼い)と比較して卵黄中の
ビタミンD₃濃度が有意に高くなる傾向が示されており、
卵殻強度の向上も確認されています。
これはエサを変えたわけではありません。
変わったのは、環境です。
太陽光を浴びること。走れること。羽ばたけること。
紫外線刺激により体内でビタミンD₃が合成され、
カルシウム代謝が調整される。
その生理的な働きが、卵の質に現れると考えられています。
その暮らしは、理念で終わらない。
鶏たちの体に刻まれる。
もちろん一方で、産卵率は下がります。
効率だけを見れば合理的とは言えない。
それでも私は、走って、飛んで...
それぞれの時間を生きた先に生まれる卵を選びたい。
環境は、体を通り、卵になる。
生き方は、質になる。
鶏も、人も。
–平飼い放牧卵itadaki–
暖鷄/NaturalEggLab

空を飛べる体へと進化した
恐竜の一部が、今もここにいる。
約6600万年前、
巨大隕石の衝突をきっかけに、
環境が激変し、
多くの恐竜は姿を消したと言われています。
しかし、
小さく、羽毛をもち、
生き延びた一部の系統がありました。
それが、いまの鳥類。
鳥類は、
獣脚類恐竜というグループの中に
含まれると整理されているそうです。
つまり鳥は、
「恐竜の子孫」というより、
生き残った「恐竜の一系統」と考えられているのだとか。
鶏も、その続き。
そして卵は、
6600万年を越えてきた命のかたち。
次に卵を割るとき、少しだけ思い出してほしい。
遠い過去の話ではなく、
この放牧場で、続いていることを。
Dinosaurs did not completely disappear.
Birds are classified as living theropod dinosaurs.
The chicken at our feet is part of that continuing line.
An egg carries 66 million years of life.
–平飼い放牧卵itadaki–
暖鷄/NaturalEggLab

「大寒卵」
毎年お伝えしていますが、
この時期に、
この暮らしで生まれる卵を、
私は「本来の大寒卵」だと思っています。
大寒卵とは、
一年で最も寒い頃、(大寒の頃)
寒さの中で、体を整えながら
ようやく生まれてくる卵のこと。
昔は、冬になると鶏は自然と産卵を休み、
この時期の卵は、本当に貴重なものでした。
だからこそ、大寒卵は
「縁起物」として大切にされてきたのだと思います。
ただ私は、
縁起が良いから。
という理由だけで
この卵を語りたくはありません。
今の日本では、
一年中、当たり前のように卵があります。
季節や寒さを越えて、
常に同じ量が並ぶ時代です。
でも、ここでは違います。
寒さに逆らわず、
季節の移ろいに身をゆだね、
鶏たちのリズムに任せていると、
冬は自然と産卵が減ります。
それでも、
それだからこそ、
この時期にもたらしてくれる卵があります。
無理をさせず、
効率を優先せず、
命の歩幅を崩さない先に、
そっと生まれてくる一粒。
縁起物という言葉の奥にある、
「本来、なぜ特別だったのか」
その背景ごと、
今も変わらない大寒卵です。
–平飼い放牧卵itadaki–
暖鷄/NaturalEggLab
#naturalegglab
#放牧卵 #itadaki #平飼い卵

本格的な冬となり、鶏たちはいま産卵を少しお休みしています。
寒さが深まり日照時間が短くなるこの季節、鶏たちの体も自然と冬のリズムへ移っていきます。
季節や体調、そして群れの空気が「今は少し違うよ」と教えてくれているようです。
人の都合だけで「産んでほしい」とは言えません。もちろん産んでもらえたらありがたいのですが、その小さなサインを受け取りながら暮らしたいと思っています。
楽しみに待ってくださっている方には、本当に申し訳ない気持ちもあります。
それでも、これが鶏たちと向き合うということなのだと思っています。
最近は久しぶりに放牧場に出て、土を踏み、風にあたりながら過ごしています。
冬野菜の葉っぱもよく食べ、日向で羽を広げたり、砂浴びをしたり、みんなそれぞれの時間を過ごしています。
卵は少しお休みでも、鶏たちの暮らしは今日も変わらず続いています。
卵がある日も、ない日も、ここでは同じように一日が流れていきます。
それでいい。
それがここでの暮らしです。

今の時期、卵を割ったときに「少し黄身が濃いかも」と感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
冬は気温が下がり、鶏たちも体温を保ちながら産卵を続けています。
そのため、体づくりを支えるエネルギー源として、穀物の割合をやや高めた配合に整えています。
そこへ、冬野菜や青菜が加わります。
畑や近隣からいただく旬の恵みも、この時期ならではのものです。
日々の様子を見ながら、ほんの少しずつ微調整を重ねています。
黄身の色は、意図して“つくる”ものではありません。
着色を目的とするのではなく、鶏たちの体調や季節に合わせて整えた結果として、
自然にあらわれるものです。
色が濃いから良い、淡いから劣る、という単純な話ではなく、そのとき鶏たちが口にしているもの、その暮らしの積み重ねがそっと卵に映し出されています。
今の色は、今の季節を生きている証。
冬を生きる鶏たちの、そのままの姿です。
そうした小さな変化も、味覚だけでなく、
日々の食卓の中でゆっくり感じていただけたら嬉しく思います。

「平飼い」と聞いて、
どんな情景を思い浮かべますか。
鶏舎の中で、地面を歩き回る姿でしょうか。
それとも、青い空の下で風を受ける姿でしょうか。
実際のところ、日本で“平飼い”と呼ばれている多くは、屋内の鶏舎内で完結しています。ケージではない、という意味での平飼い。そこに優劣をつけたいわけではなく、まずは言葉と現実の距離を静かに見つめたいのです。
NaturalEggLabでは、鶏舎よりも広い放牧場が、鶏たちの一日の主な居場所です。朝、扉を開けると、群れは自ら外へ出ていきます。太陽の光を浴び、土を踏み、草をついばみ、砂浴びをしながら時間を重ねる。
“屋外に出る時間がある”のではなく、
屋外で一日が進み、屋外で営みがつくられていく。
日光を浴びること、風にあたること、地面に触れること。それは特別なイベントではなく、暮らしの前提です。
こうした養鶏は、日本ではまだごく僅か。統計上も、放牧という形態は全体の中でほんの一部に過ぎません。だからこそ、比べるためではなく、この風景をそのまま伝えたいと思っています。
平飼い放牧卵 itadaki は、
その日々の積み重ねから、静かに生まれ、
そっと届く、暮らしのかたちです。
–平飼い放牧卵itadaki–
#naturalegglab
#放牧卵 #itadaki #平飼い卵
#farmtotable #pasturedeggs

今年も採血が無事に終わりました。
(血液検査の詳細な結果は1ヶ月後)
例年の如く全国では鳥インフルが続き、
多くの鶏たちが失われています。
一所懸命に生きていた命に、
心から感謝を。
こうして毎年検査を受け入れるのは、
鶏たちの健康確認だけでなく、
平飼い・放牧という飼養法の「信頼」に繋がると信じているから。
ただ、受け入れるたびに要らぬ心配もつきまとい、
来年はどうしようか…と
胸の奥で揺れる気持ちもあるのが、
正直な気持ちです。
それでも、
うちの鶏たちは今日も元気いっぱいで、
採血中も道具をつついたり...
困らせていました。(毎年毎年...笑
目の前の命に誠実に、出来ることをひとつずつ。
いつもありがとうございます🙏
–平飼い放牧卵itadaki–
#naturalegglab
#放牧卵 #itadaki #平飼い卵
#farmtotable #pasturedeggs

なによりも「本物だから」 と。
彼は、最初にこう力強く語ってくれた。
それは、
比べて良かったから選んだではなく、
選ぶ理由が先に “そこにあった” という言い方だった。
香りがクリアで、嫌みがなく、
鶏が無理なく過ごしている時間が
そのまま “香りの質” に出ている、という。
生卵の状態でもわかるけれど
ゆで卵にすると、その差がより鮮明になる。
足さなくても成立する “自立した味”。
一般的な量産卵は 、
風味はあっても “味わい” そのものが立っていない。
だから味付けが必要になる──と。
「食べればわかる」というのは
乱暴な言葉に聞こえるかもしれない。
でも、あえてそう言いたくなるくらい
きちんと “味がある” 卵だ、と彼は言う。
そして最後に
「山野さんのまっすぐさが卵に息づいている」と
静かに、はっきり、言葉を残してくれた。
〈井上稔浩シェフ pesceco/Shimabara Nagasaki〉

「人間の都合」
で行う動物との営みや、動物への向き合い方を、
「すべて悪いものだ」と語られることがある。
確かにそう思う瞬間もある。
でも、私は全てがそうだとは思わない。
偏った言葉は、わかりやすい。
時に必要なときもあると思う。
だけど、そのわかりやすさに寄りすぎた時、
生まれるものはなんだろうかと。
理解なのか。
対立なのか。
それとも、
大切なものを見えなくする「壁」なのか。
物事は、一つの正義で語れるほど単純ではない。
鶏と人との関係も、もっと長くて深いはず。
その間には、
名前のつかない感情や、
誰にも見えない日々の積み重ねがある。
そしてそこには、
数え切れないほどの「選択」があって、
そのひとつひとつに、
誰かの願いや迷いが宿っている。
どちらが正しい、間違っていると
簡単に言えるほど、
いのちに関わる営みは平らではない。
「正しい形」だけで割り切れないものが、
たくさん息をしている。
だからこそ、
私は善悪の議論よりも、
どう誠実でいられるかに向き合い続けたい。
答えを急がず、
すぐに誰かを裁かず、
ただ目の前のいのちと、
自分の心の揺れに嘘をつかないこと。
その静かな選択の積み重ねが、
いつか道になると信じている。
–平飼い放牧卵itadaki–