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生産者のお便りとお知らせ

鶏の最期と自問自答

果たして私は何をやっているのだろうか?

何をやっているのだろう? と自分に問う時があります。

それは鶏の最期の瞬間を見ている時だったりします。

卵を産んでくれて、 それを皆さんに届けて。 そして最期の日を自分が決め、 最期を見届けている。

これは卵を卵としてしか見えていない方には思い描けないこと。 私もそうでしたし、 考える必要もないのかもしれません。

私は今こうして鶏たちと暮らしているので、 その全てを感じています。

基本的に卵を産んでくれた鶏はそのままお肉になることはなく、 肥料やドックフード、キャットフード、鶏を含む畜産の飼料、冷凍食品の材料ミンチ、廃棄?なども...

不透明であり、一般的に最後は処理場にカゴを置いてきて終わり。 最期はどう扱われるか?その後どうなるか? わかりません。 わからないですがそれで終わりです。

それは自分にはできませんでした。

最期をどうするか?ということも 考え、養鶏を始めました。

自分の目の届くところで行う。 そして、お肉として皆さんにお届けする。 それができなければ始めませんでした。

然し乍ら、時折自問自答しています。

何をやっているんだろう?

と。

ただ、 こうしてお肉としてすらならない採卵鶏。 そしてその暮らし自体も、 卵を人間が食べるためだけに生活させられている様にも感じる。

そうした鶏たちが多い中、 私の中で、卵を食べるのであれば、 せめて暮らし方はこうであってほしいだとか、 最期の扱かわれ方や、その後も、 こうである方がまだ納得がいくというか。

うーん。 納得はいかないのかもしれませんが...

ただの気休めでしかないのかもしれません。

でも私がやっていることの方が、 卵をいただくのならば、 自分ではまだマシだと思いたいです。

生きていく上で、 自分はこの選択をしているというだけです。

こうしたことは、 言葉にするのが難しく、 上手く表現できません。

自問自答する時があるくらいなら、 「じゃあやらなければいいじゃん」もあると思うんですが、 そうじゃないんですよね。

かといって自分がやっていることが正義だとは微塵も思っていません。

正直言って、 やっている自分も偽善者だと思う時もあります。

これはただの偽善じゃないかと。

しかし、やっていることには誇りを持っていますし、

0-100ではないので、 これをやる意義はあると信じています。

が..

これもただのエゴです。

偽善と言われれば偽善です。

それでもやります。

使命感みたいなものはないです。

ただ自分のエゴでやっているだけです。

自分のやりたい様にやっているだけです。

それに共感してくださったり、 そういうものを求めている方の手に届いている。

そして、この卵や、親鶏肉に対する意義や意味 なんてものは、 手にとってくださっている方 それぞれが 持ってるんだとも思います。

届いた時、召し上がっていただいた時の 笑顔のご報告が何よりもの幸せです。

楽しんでいただければ幸いです。

喜んでもらえること、 幸せを感じてもらえること、 笑顔になれること、

やり続けたい。

私は精一杯やるだけです。

いつもありがとうございます🙏

※先月出荷した鶏肉はシェフに全羽買い取りいただいております。 プロの手により、料理として皆さまにお届けできることは本望です。 皆様に日頃より卵をご愛顧いただいておりますお陰様で、ナチュラルエッグラボの鶏をご評価いただいております。 皆様に心より感謝申し上げます。

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ナチュラルエッグラボ長崎県(放牧養鶏/平戸平飼い放牧卵itadaki,親鶏肉,スイーツの販売)

平戸平飼い放牧卵itadaki
私たちは、なによりも卵を産んでくれる鶏達の「生き方」を大切に考えています。
自然豊かな歴史とロマンの街、長崎県は平戸の地で、平飼い放牧養鶏を行っております。
鶏たちに最適な環境を、鶏たちから学び、常に追い求めています。
青空の下、自由に駆け回り、思いきり羽根を伸ばす。
砂浴びをし、太陽を浴び、風を感じる。
そんな鶏たちが、ひとつひとつ一所懸命に産む卵。
卵は「いただく」もの。
私たちの使命は、鶏たちの「生きた証」をお届けすることです。


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