はじめまして。
はじめまして。 また、いつもKUMAちゃんのカレー弁当のカレーを召し上がって頂いている皆さま、ありがとうございます。
私達は令和4年2月、高知県の黒潮町という大自然に囲まれた町で、素材にこだわったカレー弁当屋をオープンしました。
そして令和5年よりたべるとくらすとさんに、お店をオープンさせて頂きました。
このブログを書くことで、皆さまにKUMAちゃんカレーのカレーはどんな人が作っているのか。 今悩んでいる人や前向きに何かを計画している人達の役に立てたら嬉しいと思っています。 全てを一度でお伝えするのは難しい為、少しづ書いていこうと思っています。
夫婦でお店を営むという長年の夢を、東京から移住して高知県で叶える事ができました。 ここまで来るには沢山の良い事もありましたし、沢山の苦悩もありました。沢山の勇気も必要でした。
ここ無くして今はなかった、こだわりの食生活になったはじまり
私達は無添加、グルテンフリーの他にも、塩は完全天日塩を使用し砂糖は摂取せず、甘みははちみつで補ったりとその他にも、調味料や食材に気を付けた食生活をしています。
しかし、ずっと前からこの様な食生活をしていたわけではなく、始めたのは約6年前位です。
東京都出身の夫は現在51歳、私は神奈川県出身の44歳、子供はいない夫婦です。
1年前に高知県に移住してくるまでは夫の出身地である八王子に在住していました。
体調不良
今から約17年前、溶接の仕事をしていた夫は皮膚のただれ、かゆみの疾患の症状がでてきて、その症状は全身の皮膚の柔らかい部分全てに出てきてしまい、かゆみは24時間365日と言ってよい位ひどい症状でした。
皮膚科に行って、飲み薬、塗り薬を処方されても夫の症状には効果が無く、アレルギーを調べてもほうれん草やマグロといったもので、私たちが日常で口にしているものはほとんどありませんでした。
またその1~2年後には運悪く、生ものに当たってしまい、入院をしたのです。
そしてその食中毒がきっかけとなり、毎日と言って良いほどお腹を壊す日々が続きました。
外に行けばトイレの心配があるので外食も消極的になり、外出外食の際は整腸剤等が無ければ不安で出られない程でした。
この頃には夫は転職して運送会社の配達員をしていましたが、朝は早く、夜は遅く、お腹の調子も悪く、皮膚の状態も最悪と負のスパイラルで心身ともにボロボロでした。
運命を変えた1本の電話
そんな生活をしていたある日、1本の電話がありました。
10年以上連絡がとれなかった夫の友人からでした。ここが大きな転機でした。
そして友人と会う事になりました。
久しぶりに会った友人は、当時私達は聞いた事がなかった”ファスティング”という話しを聞かせてくれたのですが、久しぶりに会った友人のこの話しは怪しすぎる!と最初は思って話しを聞いていました。(今思えばなんと失礼なと反省です)
しかしその後、ファスティングの事を調べているうちに、健康維持に効果のある食生活に関連する情報がどんどんと入ってくる様になり興味が沸いてきたのです。
そして食生活改善をやろう!という決定的な決め手になったのは、ある天日塩を購入した時に付録で付いてきた2冊の"添加物と塩"についての本でした。
これを読んで、即決断しました。私たちの夫婦の価値観には添加物が恐ろしいと思えました。
そして気になっていたグルテンフリーも同時に試みてみる事にしました。 (パン星人と言われる位パンが好きな夫なので)
辛かった症状の改善
食生活改善を始めてお腹の調子はすぐに良くなり、長年悩み続けたお腹を壊すことが無くなりました。
肌も良い方向に向かっている事がわかりました。
約1年後には何年も苦しんでいた皮膚のただれはすっかり良くなりました。
私にも変化は現れ、便秘をしにくくなり、10代から悩んでいた吹き出物が出なくなりました。
私達にはこの食生活改善が合っていた様です。
これだけの結果が出た為、私たちは現在の食生活を続ける事を決めました。
追い込みすぎには注意!!逆に不健康になってしまう可能性も・・・
ただこの生活で何よりも困った事が、外出をした時に気軽に食べられる物を見つけるのが大変になったのです。
朝家を出てから夜の帰宅まで何も食べない事もありました。
これは正直、苦痛で、楽しくないし、辛いだけだったので、自分たちのルールを少し緩める事にしました。
外出などで食べられるものがない時は、全てがダメ!では無く何を食べたかを把握する事が大切だと思っています。
そして、自分たちの食生活のルール外の物を食べた後は調整をしています。
無理をしていた時はお世話になっていた方に”健康のための不健康にならないように”と言われていました。
確かに食生活も大切ですが、心の安定も大切だと思っています。食生活だけでは健康の維持は難しいと、後々気が付く事になります。
この事についてはまた別の時に書きたいと思います。
それにしてもこの方は何か未来が見えていたのか…と思う事があります。
移住した今でも気にかけて応援してくれています。
長い話を読んで頂きありがとうございました。 お店がオープンするのはもう少し先のお話しになります。