「そろそろマムシに気をつけないとダメだぞ」
父がそう言って昨日マムシに遭遇したことを話し始めました。
山での仕事は、特に注意深く行うことを常としている父です。
私だったら、ガブガブ噛まれていたかもしれません。
その日、父は猪・鹿用の柵を据え付けていました。
山の畑は、綺麗な形をしていません。
勾配もあれば、隣接する耕作放棄地の伸び放題の笹竹が覆いかぶさってきていたり
材料を持って歩くのさえ一筋縄では行きません。
柵を設置する場所に生えている雑木や草を刈り取っている時、
「ん?!」
父の手のわずか先にトグロを巻いているマムシがいることに気がついたそうです。(ヒェ〜っ!!)
父は、そばにあった棒でやっつけようと考えました。
「マムシは鳴かしたらダメやから、できるだけ一気に仕留めんといかんから焦った」
そこは岩も多く一発で仕留めるのが地形的に難しかったそうです。
父の予想通り、マムシは岩の隙間に逃げてしまったようです。
その話の後、
「
マムシが鳴く」話になりました。
蛇が鳴くなど、聴き始めです。
「鳴くの?」
そう問う我が娘を見る父の顔ときたら・・・。
(『我が娘はマムシが鳴く事も知らんのか!!!!』という顔ですね。)
ぼんやりと生きて来た山の子ですから(笑)知らない事で山の中は溢れております。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう。」とは、この父の顔だな。そう思いながら
鳩の顔を見ていました。
続く。
家には夏になると招かれざる客がやって来ます。
虫です。
総じて大きめのサイズの
蜘蛛、蚊、そして百足。
この百足夜中に、寝てる母の顔を横断したり、天井からぽとりと落ちて来たり。
どれも衝撃的な登場ばかりです。
しかも、10cm越えの迫力サイズです。
私は、全く遭遇しないのですが、ほとんどのムカデエピソードは母です。
夜中に、ふーっと目が覚めた母は、薄明かりの中何気無く枕の端に目をやりました。
視線を感じたのです。
視線の先には、こちらをじっと見つめる大ムカデ。
母は、その辺にある物を無我夢中でつかみ格闘の末、百足をやっつけたそうです。
夜中だったので、百足の亡骸はそのままにして再び眠りにつきました。
明け方、「痛いーーっ!!」母の枕元で、足を抱えもがく父の声に母は驚いて目を覚まします。
父は、夜中に母がやっつけたムカデの死骸を踏み、まさかの死骸のムカデに噛まれて
悶えていたのです・・・。
生命力が強いので、仮死状態だったのか否かは不明ですが、
息が出来ないぐらい大笑いしながら母が、その話を私たちにしてくれました。
母は、ムカデに最も遭遇しますが一度も刺されていません。
いやはや、運の強い母です。
圃場でも招かれざる客がやって来ます。
ムカデもいます。
死んでいました。
早起きは得意です。
単純に夜更かしができない育ち方をしたせいですが、この習慣は気に入っています。
収穫時期の今は、輪をかけて早起きになります。
窓の明かりで目を覚ました日は、完全に寝坊です。
それ程まぁまぁ早い時間に起きます。
そうしませんと、
先に到着している妹に、したり顔をされてしまいます。
山の朝は、涼しくて爽やかです。
日が昇ると、一瞬で「夏」に様変わりしますが、白々と夜が開ける頃のわずかな時間は
格別です。
吉野川を渡る時、あまりにも眩しいのでちょっと寄り道をしました。
毎日同じ時間に通りますが、こんな綺麗な朝焼けは久しぶりです。
春が過ぎ、梅雨の頃になると爬虫類がよく目の前に姿を現します。
マムシという毒ヘビは絶対に出会いたくないのですが
それ以外の蛇ならちょっとビックリするくらいでお互いにやり過ごせます。
いつも果樹畑には黒いのと茶色いのが一匹必ずいます。
今年は茶色い子だけよく見かけます。
黒い子は一回も出会っていません。
蛇は冬眠できるので、何年か生きる生き物です。
見かけないと心配になってきます。元気なんだろうか?天寿を全うしたのだろうか?と。
そんな蛇には驚いたことがあります。
防鳥ネットの支柱の上(2mほどの高さ)をスヌゥ〜っと進んでいるのです。
「え!」と驚くと同時に、こんな高い所に登れる。という事実にハッとします。
蛇には手足がないから、私の頭の中では地面を這うイメージが大方になっているのです。
起きている時間の大半を空想の世界で過ごしていた子供の頃にはありえない思考の老化現象です。
蛇に、楽しかった子供の頃の思考回路を思い出すように促された気がします。
子供の頃、生き物と話ができました。(勝手に子供の私が自分で二役して会話しているのですが、何とでも会話していました。ありやダンゴムシ、てんとう虫・・・)
ブルーベリーの木で休んでいる茶色い子に再び出会いました。
もう、収穫時期の恒例となりつつある光景。
その名も、顔面蜘蛛の巣キャッチ。
早朝のぼんやりしている私は、ブルーベリーを取ることに夢中になり過ぎて
呆れてしまうほど、顔面で蜘蛛の巣を壊しています。
蜘蛛の気持ちを考えてみます。
たまったもんじゃない。
「あっ!ごめん!」こちらも悪気があってではないので謝ります。
にしても、ここに巣を作るって事はもはや私狙いと思ってしまいます。
それほど見事に蜘蛛の巣に囚われています。
最初の頃は、蜘蛛の巣を手で払いながら進みましたが、
最近ではそんなに気にもとめず顔面で蜘蛛の巣を壊しています。
それにしても、蜘蛛はセンスがあります。
巣の張り方もそのデザインも。
さらにその為の労力たるや計り知れません。
私に親切な蜘蛛は私の通り道に私の捕獲を企んだりせずに、巣を作ってくれます。
そんな蜘蛛たちの、作品をいくつか紹介します。
3歳になった犬は、上手に意志が伝えられるようになって来ました。
おやつのある扉の前で遠慮がちに。
縁側に日向ぼっこに行きたいときは元気良く。
けれど、何が言いたいのやらさっぱりの時もあります。
そんな時は、しつこく鳴きます。
こちらも、うんと考えてみます。
ソファーの下に落としたおもちゃを取って欲しい?・・・正解!
なんという犬!
また別の時は、こちらを向いては鳴いていません。
何か欲しているのではないようです。
犬の視線の先には何も見えません。
けれど犬は何かに向かって吠えています。
近づいて様子を・・・。
私だけでなくご先祖さまたちもずーーーっと見ていて、そこにある景色の一つが
この池です。私の通称(カッパの住む)池。春夏秋冬で様々な表情を作ります。
雨がなかなか降らないカラっカラの時期は池の水は「悪いカッパ」が出てきそうな深い緑色をしています。
梅雨の時期は、雨水が山からどんどんしみ出てくるので「池の神様」がいるのではないかと
思うほどに、幻想的な薄青色に変わります。
「池の神様」色の時、魚は絶対に「最高〜!!気持ちいい〜!」そう思っているに違いありません。
外から見ていても、上機嫌な魚の雰囲気が伝わってきます。
私も泳ぎたいぐらいです。
犬と床に転がってごろごろごろごろしている時
うちの犬はこんな景色を見てるんだ。
と思います。
ちゃんと掃除・・しないとな・・・。とも思います。
私の子供が小さかった頃、ミニカーや線路で遊んでいる姿を見ていますと
床に寝そべって車を「ブンブン〜」と顔の横で動かしていました。
目線を変えると、景色が全く違ってきます。
妹は畑に来ると、相変わらず色々な事を発見します。
立ったりしゃがんだり、時には寝転んでいます。
目線をいくつも使って生活しているようです。
そのおかげで、害虫の発見や病気にも早く気がつきます。案外、役に立っているのです。
向こうの方から「うわ〜!ちょっと見て見て〜!」妹が呼ぶので、
どうしたのかと駆け寄りますと、
「ほら!こうやって見て!すごい綺麗!」
妹に言われるまま同じ格好をして見てみました。
随分と草刈り機の使い方もわかってきて、刃も自分で変えられる様になり
ちょっと、威張った気持ちの今日この頃な私です。(一体何に威張っておるのか?)
けれど、刃を研ぐことはできません。
刃を研ぐ時の研磨機の火花が腕に当たる様子を小さい頃からいつも見てきています。
祖父に「あの火花腕に当たっても熱くないの?」
時に祖父は半袖で、火花が当たりながら研磨機で刃を研ぐのを見ていて尋ねたことがあります。
祖父は「ん〜〜〜、熱くはないな。」と笑っていました。
絶対に熱い!ピチピチと火花が当たるんだから絶対に熱い!
なぜ熱くないのーーーー?!
その当時の祖父の七不思議の一つでした。
大正生まれの祖父や祖母は、一定の「痛い」の枠を超えて初めて他人様に「痛いです」
と申していい「枠」があります。
それを我慢強いということもありますが、お医者さんがこんなに身近ではない時代を生きてきたから
「痛い」は今よりもずっとずっと重い言葉だったのかなと。私は思っています。
ですから、祖父は火花が当たってそれなりの感触はあったと思っています。
それほど熱くはないにしても、ちょっと怖い。
なので、刃を研ぐことはできません。
父が置いてある「研ぐ刃」置きにそっと私の刃を忍ばせておきます。
私が忍ばせておいた刃はさらの刃の様に生まれ変わります
父は気づいているのだろうか?
とりあえず寝たふりしておこう(笑)
ブルーベリー畑には、山の湧き水のため池があります。
池を眺めながら歩きます。
何かしら、面白いからです。
ここで毎回発見やら遭遇やらをして大きな声を出すのが妹です。
今日も「えっ?えーーーーー!!」
その声に、抵抗したい気持ちはありますが、つい足早に
妹のところに駆け寄ってしまう自分。
どうしたのかと聞いてみると
「ヤゴの脱皮した殻みて!」
妹の指差す先には菖蒲の葉があります。
これが、確かにビックリです。