


「ない時はない。」
放牧場の朝。
卵を産み終えて鶏舎から出てくる子もいれば、
これから産むために、静かに鶏舎へ戻っていく子もいる。
鶏には、
卵を「産む時期」と「産まない時期」がある。
それだけでなく、天候や体調、群れの状況など、
さまざまな要因によって産んだり産まなかったり。
それは鶏たちにとって、ごく自然なリズムであり、
健やかに生きている証でもあると思います。
けれども私たちは、つい
「いつでもある」
ことを当然のように望んでしまう。
待つことや、
空白を受け入れることは、
現代の暮らしでは忘れがちな感覚なのかもしれません。
鶏たちが教えてくれるのは、
「ない時はない。」
という、ただそれだけの真実。
そのシンプルさに身を委ねたとき、
人の心も少し、軽くなるのかもしれない。
私はそう感じています。
-放牧鶏「暖鷄」-
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「新しい季節とご縁を、鶏たちと」
昨年末から、野生動物による大きな被害など
さまざまな困難が続きました。
それでも、
一羽一羽と向き合いながら、
ようやく若鶏たちも大きくなり、
群れとしての体制が再び少しずつ整ってきました。
鶏には、命のリズムがあり、
卵を産む季節と、
体を休める季節があります。
これから迎える秋は、
命が実りのリズムに入る時期。
群れの体制も、季節も、ようやく調和してきました。
これまでは
卵をお手にしていただける機会が限られていましたが、
この秋からは新たに枠を開き、
新しいご縁をお迎えできる準備が整いました。
これまで出会い、支えてくださった方々とのご縁を大切に、
そしてこれから広がっていく新しいご縁も育みながら、
鶏たちと共に重ねてきた時間や暮らしを、
卵を通して分かち合えることを、心から嬉しく思います。
皆様何卒よろしくお願いいたします。

「群れに流れる秩序」
鶏は、「群れ」で暮らす動物です。
ただ集まっているだけのように見えても、
その中には目に見えない秩序が流れています。
まずオス同士が力を示し合い、
群れの「ボス」が決まります。
その頂点をもとに、他のオスやメスへと順位が広がり、
いくつもの階層が少しずつ形づくられていきます。
その中で、必ずしもオスが上に立つとは限らず、
ボス争いに敗れたオスを、
気の強いメスが上回ることもあります。
こうして生まれた序列は、
群れを動かす“社会的なルール”となり、
誰が先にエサを食べるのか。
どこに立ち、どこで砂浴びをするか、
どこで休み、どこで眠るのか。
一羽一羽がその位置を守りながら、群れは暮らしています。
この放牧場では、
その本来あるべき「群れ」という暮らしが、
今日も静かに続いています。
-放牧鶏「暖鷄」-
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「卵は、オスがいなくても産まれる」
前回の投稿では、
鶏の交尾=命をつなぐ一瞬をお話ししました。
その続きとして、産んでくれる卵のことを少し。
メスの鶏は、オスがいなくても卵を産みます。
なので、スーパーに並ぶ卵のほとんどは「無精卵」です。
なぜかというと、日本のほとんどの養鶏はケージ飼いで、
そこには卵を産まないオスは入れられていないからです。
効率よく管理し、安定して大量に卵を生産、流通させるため、メスだけで飼育されています。
うちの放牧場には、群れを守り、命をつなぐオスがいます。
その営みの中で産まれる卵は「有精卵」と呼ばれます。
有精卵だからといって、
栄養や味が特別に変わるわけではありません。
見た目も同じで、食べても違いはありません。
なので、「有精卵=体にいい」というイメージだけで選ぶ必要はありませんし、
むしろその言葉だけをありがたがるのは本質から外れていると私は思います。
私たちが大切にしているのは「有精卵」というラベルではありません。
「有精卵であること」そのものではありません。
求めていません。
大切にしているのは、
オスとメスが共に群れで暮らし、
自然な営みを続けられること。
その暮らしの延長線上に、
有精卵という結果があるにすぎません。
また、有精卵は条件が整えばヒヨコへと育つ可能性を秘めています。
一方で、温められなければ無精卵と同じように食卓にのぼります。
卵を毎日手にする暮らしの中で、
その違いを意識することは多くありません。
けれど私は、ときどき考えます。
いのちがつながる可能性を持った卵を、
“いただく” ということ。
食卓の上に並ぶ卵の奥には、
群れの営みや、鶏たちの時間が流れています。
その静けさに耳を澄ませると、
当たり前に割っている卵が、
少し違って見えてきます。
皆さんはどう感じていますか?
-放牧鶏「暖鷄」-
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普段はあまり目にすることのない、鶏の交尾の姿。
卵の奥にある「命のはじまり」を、
この投稿で知っていただけたらと思います。
放牧場で日常的に見られる光景。
オスがメスの背に軽やかに飛び乗り、
羽ばたきで体を支えながら交尾します。
鶏には哺乳類のような交尾器はなく、
「総排泄孔(そうはいせつこう)」と呼ばれる
おしりの様な部分を一瞬だけ合わせ、
その一瞬の触れ合いで精子が送り込まれます。
交尾の前には、オスが羽を下げてバタバタと広げ、
メスの周りを回る仕草を見せます。
これは自分をアピールし、相手を誘う行動。
メスはそれを受け入れるとき、お尻を下げて地面に座り込み、交尾の体勢をとります。
ただ、毎回この求愛行動があるわけではなく、
群れの空気感で伝わり合い、
メスがすっと受け入れてオスが乗ることも多くあります。
ほんの数秒の出来事。
こうした姿は、オスが群れにいるからこそ見られる営み。
卵はメスだけでも産むことができるため、
ほとんどの養鶏場ではオスは飼われていません。
なので、
この光景は一般にはほとんど知られることのないものです。
やがてオスは降り、
鶏たちは再び土をついばみ、砂を浴び、
何事もなかったかのように日常へ戻っていきます。
私たちが食卓でいただく卵は、
食べものでもあり、
命のはじまりでもある。
その奥には、こうした営みが確かに息づいています。
人が手を加えなくても、
自然のリズムの中で受け継がれていく命。
その一瞬を目にすると、
当たり前にいただいている卵の重みを改めて感じます。
お届けした目の前にあるその卵の奥に、
静かな営みと暮らしが流れていることを、
思い浮かべてもらえたら幸いです。
-放牧鶏「暖鷄」-

今の時期は、
卵が少し割れやすく感じられることがあります。
それは、鶏たちの体の働きと夏の気候が重なっているからです。
まず卵は、
黄身を中心に白身が重なりながら形づくられます。
そしてそれを覆う殻は、鶏の体の中で半日以上かけて、
少しずつカルシウムが沈着しながら仕上がっていきます。
ところが暑い季節には、
体温を下げるために水をたくさん飲み、
卵が体を通るスピードも速まります。
そのため殻がじっくり厚みを増す時間が足りず、
やや薄めに仕上がりやすくなります。
そうした卵は、手にしたときにどこか
“軽やか”に私は感じます。
指先に伝わるその感覚が、殻の薄さをそっと教えてくれます。
反対に冬は、代謝の流れがゆるやかになり、
殻はしっかりと厚みを増していきます。
手にのせたときに感じる“ずっしりとした重厚さ”は、
その季節の証でもあります。
卵の感触の違いもまた、
鶏たちが生きる季節のリズムを映しています。
その変化も、鶏たちと自然からの小さな贈りものとして
受け入れていただけたら幸いです。
-放牧鶏「暖鷄」-
2025.8.24 Instagram

本日のデザート。
特製、シャリシャリすいかのフルーツポンチ。
人も鶏も、夏を乗り越えるには、水分と涼が欠かせません。
強い日差しの下、作業の合間にひと休み。
冷えたスイカの香りが風にのって、
ふっと体の熱を冷ましてくれます。
スイカを丸ごと器にして、
突けば顔を出す、みずみずしいフルーツたち。
その鮮やかな色も、ほのかな甘さも、
まるで夏そのものの贈りもののようです。
太陽の下で、ひと口の涼を。
汗をぬぐいながら、すっと身体に沁みていく冷たさに、
心までほぐれていくような気がします。
自然の恵みを分け合いながら、
今日も鶏たちと、静かに季節を味わっています。
季節のめぐりをともに感じながら、
小さな幸せをすくい上げる時間です。
※スイカはあくまでデザート感覚で様子を見ながら与えています。
水分が多いので、人間も同じですが、あまり食べるとお腹を壊しますので、腹八分で笑
―放牧鶏「暖鷄」―
2025.8.23 Instagram

私は、鶏たちに救われました。
あの時、鶏たちと出会ったことで、私は確かに救われたのです。
命に寄り添うことで、どれほど支えられてきたか、
それを言葉で語り尽くすことはできません。
その日々がなければ、今の私はここにいないと思います。
なぜこの暮らしを続けているのか。
なぜ卵を届けているのか。
その理由を探すとき、答えはいつも鶏たちの中にあります。
命を生む姿、生きるという姿を、
毎日間近で見せてもらうことで、
私は何度も心を整えられてきました。
その温かさに触れるたび、自然と謙虚になり、
生きることの意味を静かに見つめ直すのです。
鶏たちの営みは、私に「生きるとはなにか」を教えてくれます。
だからこそ、私は彼女たちの暮らしに寄り添いたい。
産ませるのではなく、産んでくれた卵を、そのままに。
その尊さを壊さず、次の食卓へと丁寧につなぎたい。
これは仕事である前に、
私自身がここに生きる理由です。
―放牧鶏「暖鷄」―

朝の放牧場に、まだ柔らかな光が差し込みます。
ひんやりとした朝露が土の香りを濃くして、空気が少しひんやりと澄んでいます。
にわとりたちは一羽、また一羽と地面に腰を落とし、土をかき寄せながら体をくるむようにして座り込みます。これが彼らのお風呂、いわゆる砂浴びです。
細かい土がふわっと舞い上がり、羽の奥まで入り込むと、体についた余分な脂や虫を落とし、羽毛を整える役割を果たします。
目を細め、時には目を閉じてうっとりと動きを止める姿は、まるで温泉に浸かる人のよう。
羽を大きく広げ、ひっくり返り、土のぬくもりと香りを全身で受け止める光景は、見ているこちらまで心がほどけます。
砂浴びの合間には仲間同士が羽をつつき合い、ぱさぱさと土を落とす音が静かな朝に響きます。
やがて一斉に立ち上がり、羽をぱさりと払って一段と艶やかに。
自然の中で自分を清める時間は、彼らにとって一日の始まりの儀式なのかもしれません。
皆さんの今日も、穏やかで、健やかに過ごせますように。
-暖鶏-
2025.8.21 Instagram

ただの羽ばたきに見えても、そこには深い意味があります。
群れを背に、堂々と空気を揺らす姿。
オスはときどき、大きく羽を打ち下ろします。
学術的には「ディスプレイ行動」と呼ばれ、仲間や外の世界に「ここに自分がいる」と知らせているのだそうです。
ここで暮らしていると、学びは本や論文よりも、鶏たち自身から得ることのほうが多いと感じます。
羽音が数秒響くと、群れ全体が一瞬ぴたりと止まり、若い雌は首をかしげ、遠くの仲間も顔を上げる。
そして、ゆっくりと元のリズムに戻っていきます。
作業の手を止めて見ていると、小さな合図ひとつで群れ全体の空気が変わることに気づきます。
ただの羽ばたきが、その日の群れの調子や、安心感を伝えてくれているようで、思わずこちらもほっとします。
羽ばたきは、単なる動きではなく、今日も群れが無事に暮らしていることを知らせる小さなサイン。
そう思える瞬間が、日々の暮らしの楽しみのひとつになっています。
-放牧鶏「暖鷄」-
