「終生飼育はしないのですか?」
これまで何度もその問いと、向き合ってきました。
できるなら、そうしたい気持ちもあります。
けれど私は、命を理想だけで抱くことはできません。
終わりを決めるのは、私です。
それは、軽く決められることではありません。
自然ではなく、人の判断です。
その重さを引き受けることも、養鶏だと思っています。
私が大切にしているのは、
命の長さではなく、
生きている時間のあり方です。
どれだけ長く生きるかよりも、
その時間をどう過ごしているか。
砂浴びをし、
草をついばみ、
群れの中で関係を築き、
太陽や風の中で一日を終えること。
その一日一日の積み重ねが、
その鶏の一生だと思っています。
終生という言葉は美しく聞こえます。
しかし、年齢を重ねることで、
体への負担が大きくなることもあり、
群れの関係性や密度のバランスにも変化が生まれる。
体調の変化に伴い、
健康管理の難しさが増すこともあります。
その現実とも、向き合わなければならないと思っています。
長く生きることが、
その鶏らしい時間を守ることとは限らない。
そして、営みが続かなければ、
群れそのものを守れなくなる。
理想だけでは、続けていくことはできません。
続けられる形を選ぶことも、私の責任です。
その中で、
役目を終えた鶏たちは、
決して無駄にはしません。
お肉として、次の命へとつなぎます。
私は、命を消費している自覚があります。
だからこそ、
生きている時間と、その終わり方に責任を持ちたい。
長さではなく、
生きている時間。
その一瞬一瞬を、大切にしたい。
それが、私の選択です。
–平飼い放牧卵itadaki–
暖鷄/NaturalEggLab