
「人間の都合」 で行う動物との営みや、動物への向き合い方を、
「すべて悪いものだ」と語られることがある。
確かにそう思う瞬間もある。
でも、私は全てがそうだとは思わない。
偏った言葉は、わかりやすい。 時に必要なときもあると思う。
だけど、そのわかりやすさに寄りすぎた時、 生まれるものはなんだろうかと。
理解なのか。
対立なのか。
それとも、 大切なものを見えなくする「壁」なのか。
物事は、一つの正義で語れるほど単純ではない。 鶏と人との関係も、もっと長くて深いはず。
その間には、 名前のつかない感情や、 誰にも見えない日々の積み重ねがある。
そしてそこには、 数え切れないほどの「選択」があって、 そのひとつひとつに、 誰かの願いや迷いが宿っている。
どちらが正しい、間違っていると 簡単に言えるほど、 いのちに関わる営みは平らではない。
「正しい形」だけで割り切れないものが、 たくさん息をしている。
だからこそ、 私は善悪の議論よりも、 どう誠実でいられるかに向き合い続けたい。
答えを急がず、 すぐに誰かを裁かず、 ただ目の前のいのちと、 自分の心の揺れに嘘をつかないこと。
その静かな選択の積み重ねが、 いつか道になると信じている。
–平飼い放牧卵itadaki–

