移住2ヶ月後に発覚した夫のがん。乗り越えました。
読んで頂きありがとうございます。 今回は4回目のブログになります。 3回目は移住したいと思ったきっかけや住む家が決まっていないのに引越しを進めたお話しを書きました。
今回は移住して約2ヶ月で❝stage4の悪性リンパ腫❞が発覚したお話しです。
体調の違和感
2021年4月、高知に移住した矢先に夫の悪性リンパ腫が発覚しました。 さらに発覚するまでは長い道のりがありました。
4月から高知に在住し始め順調だった生活。 ですがすぐにそんな楽しい生活に変化が。
4月の中旬過ぎ頃から夫が腰と手首の痛みの訴えと、度々疲れると言うようになってきました。
元々腰痛持ちだったし、手首も過去に怪我をしていた事と、慣れない土地で慣れない仕事(らっきょうを切る仕事)をやっているから疲れるのだろうと思いそこまで気にかけていませんでした。
4月末からのゴールデンウィークには症状が悪化していましたが、雨の日が多かったので天候のせいかな、食べ物で何か栄養が足りていないのかな、と考えて自分達なりに考えた対処をしていました。
この頃、目の下の部分を返すと真っ白で貧血の症状らしきものがあり、気温は低くないのに寒いと言い、いつも手足が暖かかった夫の手足は常に冷たい状態でした。
そして5月7日、夜も眠れない程の腰、腹の痛みと発熱が。
翌日近所の病院へ行きました。 発熱があった為病院側はコロナ対応をして診察をしましたが、先生は即、これはコロナではない!!と判断をして触診等を行い、大きな病院で直ぐに検査を!!と言われ、そのまま地元の大きな病院へ行きました。
何もわからず。
休日の救急診療でしたが、出来る検査は全てやりましたが、もっと精密に色々やらないと分からないという事で、そのまま入院になりました。
そして1週間の入院で血液から何から何まで全ての検査をしましたが❝何もわからない❞❝リンパの数は多いけれど、痛みや風邪でリンパの数が増える事もあるから、何故この症状なのかわからない❞と言われました。
腰痛もあったので、腰の検査もした所、腰の骨が1本だけ色が違うと言われ、その骨の組織を採取して検査しましたが❝わからない❞と言われました。
こんなに体調が悪いのに何も分からないなんていう事があるのだろうか・・・と疑問に思いながら、1度退院しました。
原因不明の苦しみと戦う日々。
退院後、謎の痛みと倦怠感に耐え、夜には眠れない苦しみに耐えた日々。 人がのたうち回るという姿をはじめてみました。
食べ物のせいだろうかと身体に良さそうな物を食べてみたり、運動不足だろうかと浜辺を走ってみたり。
元々薬を飲むのが嫌いだった事と、薬を飲んで痛みや倦怠感を和らげてしまうと本当に悪い所や痛みの原因がわからなくなってしまう為薬はのみませんでした。
そしてこの頃から股関節の痛み、臀部の痛み、足の痺れ、身体がピキピキ痛む、熱が頻繁に出るようになりました。
そんな状態で1ヶ月過ごしました。
もう一度病院へ。
症状はひどくなる一方だった為、もう一度病院へ行くことにしました。
唯一すすめられていてやっていなかった検査があった為です。
大腸検査だけはやらずに退院した為、もしかしたら大腸なのだろうかと最後の望みにかける思いでした。
腰も痛かったので腰のレントゲンも撮ってもらいました。
大腸検査は翌日の予約となったので、その日は腰のレントゲンだけ撮り、レントゲンの検査結果を聞くと❝腰は何でもないですね❞と言われました。
益々謎の痛みと痺れになりました。
そして翌日。
検査の為に病院へ行き診察室に入った時の先生の一言目が❝腰は大丈夫ですか?❞でした。
突然何でだろうと思ったら
❝腰椎を圧迫骨折しています❞と言われました。
衝撃の一言でした。
普通の生活をしていて48歳(当時)で圧迫骨折は余程の原因がないとありえない事のようで、先生は急を要すると言い、即大きな病院を紹介されました。
痛みの原因が判明したので症状が出始めてから約1ヶ月半で、はじめて痛み止めを飲む事ができました。
この時は薬は飲みたくない、薬に頼りたくないなんて言っていられる状況ではありませんでした。
stage4の悪性リンパ腫の告知。
3日後に紹介された病院でPETーCTを撮りました。
検査結果はその3日後に。
先生は緊急だとわかっていた様で、3日後の検査結果を聞きにくる時は入院の準備をしてくるように言われていました。
検査結果を聞きに行く日の前の夜は二人で号泣しました。
夫の身体で何が起きているのかはっきり分からないけれど重症である事はなんとなく気づいていたので、お互いに❝もう帰れないかも❞❝もう帰ってこないかも❞と思いました。
そして当日。
病院へ行き看護師さんに呼ばれて診察室へ。
始めて会う担当の先生と挨拶をし、椅子に腰をかけると検査結果の用紙を渡されました。
”悪性リンパ腫stage4”と書いてありました。
心のどこかで、実は何でもなかった!という期待を持っていた為、用紙を見た時には頭と目の前が真っ白になりました。 頭が熱くなってクラクラするのに、冷や汗がでて、とにかく今まで経験をした事のない感覚でした。
この時夫は”俺死ぬんだ”とシンプルに思ったそうです。
でも担当の先生は穏やかで冷静に”今は悪性リンパ腫は治りますからね””一緒に頑張りましょう”と言ってくれました。
その後すぐに”50%の確率で”と付け加えました。
多分”治る”と断言してはいけないと思い、言い直したのかなと思います。
二人とも先生のその言葉に救われました。
薬が嫌とは言っていられない、これから夫婦で色々な楽しい事をするために
高知に来たのだから頑張ろうと。
移住して2ヶ月で全てを諦めるわけにはいかないと。
この先生なら信頼できると思いました。
この日から夫の抗がん剤闘病生活は始まりました。
今回はここまでにさせて頂きます。 次回は抗がん剤の闘病生活を乗り越えたお話しを書きたいと思っています。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。