耕人舎について

熊本でサラダ玉ねぎを作っている耕人舎です

私たちは熊本県水俣市でサラダ玉ねぎの生産を営んでいる、 耕人舎(こうじんしゃ)の吉永といいます。

熊本県水俣市は熊本県の最南端に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな地域です。

温暖な気候とリアス式海岸に囲まれ、 サラダ玉ねぎ、かんきつ類、ちりめんじゃこに太刀魚と 海の幸も山の幸もひとところで揃う素敵な場所です。 私たちは、そんな水俣市にある里山の小さな集落で暮らしています。

近くを流れる清流・水俣川の清らかな水、豊かな土、愛すべき人々。

そんな恵まれた場所で、農業を基盤として、 加工品づくりを含めた「豊かな暮らしを創る」事業を行っています。

農業を始めたきっかけ

新規就農者として、故郷・水俣でサラダ玉ねぎに向き合い始めて11年。

農家出身ではない私が、農業者を志すきっかけとなったのは、 大学受験を失敗し、国立農業者大学校(当時)へ進学したことです。 祖父母が果樹園を営んでいたこともあり、もともと農業や科学に興味はあったものの、 学校で出会った仲間や、研修先で出会った先輩たちから大きな影響を受け、 農業者としての独立を志すようになりました。

そして故郷・水俣にて農業者として独立しようと思ったのは、 とあるNGOから農業指導者としてフィリピン・ネグロス島に 派遣されたときに出会った人々がきっかけです。

彼らは自分の生まれた土地を、家族や仲間が自由に住みつづけられるよう、 汗を流すのをいとわない人たちでした。 そんな彼らの姿をみて、「自分も自らの足で踏みしめる彼らのようになりたい。 愛する人たちがいる故郷・水俣で農業者として地域に根付きたい。」と強く思い、 水俣で農業者として独立することを決意しました。

栽培作物として、サラダ玉ねぎを選んだ理由は、 ・新規就農者として取り組みやすい作物だったこと、 ・水俣の風土を活かした特産であること ・自身が毎日食べても飽きない美味しさがあること このような理由でサラダ玉ねぎを選びました。

しかしながら実家が農家でなかったため、畑を探すのには大変苦労しました。 4-5年かけて専業農家として独立できる状態になり、数年かけて栽培面積を拡大。 最大時には1haの面積で栽培していましたが、4、5年前に玉ねぎの価格が大暴落...。

経営的にも非常に苦しい状態となり、家族で悩みに悩んだ末、 今は30aまでに縮小し、自分たちで栽培管理できる範囲にて、 減農薬・減化学肥料栽培から徐々に無農薬・無化学肥料の栽培に切り替えて 取り組んでいます。 2023年2月から無事に、皆さまにお届けできる状態になりました。

加工品「さらたま糀」にも、この無農薬・無化学肥料栽培の玉ねぎを使っています。 「さらたま糀」は妻が開発しました。

妻はJICA海外協力隊としてマダガスカルで活動後、 帰国してからは熊本県人吉球磨地域の郷土料理研究家の元で働いていました。 食への関心が強く、その経験から麹の調味料を作るに至ります。

コンソメや中華だしのような役割にもなる「さらたま糀」は、 手軽に、身体に良く食事を豊かにする万能調味料です。

共働きや子育て等で忙しい毎日だけれども、 「家族に、美味しく・体に優しく・時短でできる、おうちごはんを届けたい」と 思っている方々へ寄り添いたいと思い、取り組んでいます。

無農薬・無化学肥料栽培への葛藤と切り替えた理由

元々、私たちが栽培していたサラダ玉ねぎは、 特別栽培農産物であり、減農薬・減化学肥料で栽培していました。 そして今は、無農薬・無化学肥料栽培で取り組んでいます。

このように無農薬・無化学肥料栽培に切り替えた 理由の1つ目は、「経営の在り方の見つめ直し」です。

4-5年前に玉ねぎの価格の大暴落が続き、規模縮小を余儀なくされましたが、 当時は、周りの農家さんも大変困惑し、 皆で苦労して励まし合ったのを強く覚えています。

我が家では娘が生まれた頃で、これからの生活をどうするか、 どのような生き方をしたいのか、妻ともたくさん話して悩みました。

特に、 ・私たちが幸せにしたい人々に寄り添うにはどうしたらいいか ・幸せになってほしい人達にどんな豊かさを提供したいのか ・私たち目指したい豊かな暮らしとは何なのか ・小さい面積だからこそ出来ることは何なのか

このようなことを見つめる中で、

・四季折々の自然を感じ、命とのつながりを肌で感じる暮らし。 ・心身健やかで、自分らしく心地よい暮らし。 ・地域にしっかりと根差した暮らし。

そんな「豊かな」暮らしがそれぞれのご家庭で営まれること目指して、 これからも畑や心を耕していきたいと思い、 1つの手段として、無農薬・無化学肥料栽培を選択しました。

2つ目の理由は、「被覆肥料へのショック」です。

被覆肥料とは、プラスチックの中に肥料を入れたもので、 コート肥料や一発肥料とよばれます。 これを施肥することで、 追肥の必要がなくなり誰もが効率よく施肥管理を行うことができる、 非常に優れた技術です。 私はこのプラスチックは、自然に還る素材できていると思っていました。 ところが普通のプラスチックだということが分かり、 マイクロプラスチックとしての環境汚染への懸念が生じ、 無農薬・無化学肥料栽培を選択しました。

しかしながら、 無農薬・無化学肥料栽培へ切り替えるには、相当な葛藤がありました。 それは、農業研修でお世話になった方に 「農業者は、国の食を支えているのだから皆が買えるように価格など安定して 供給するのも農業人の務めだと」と教えられたのが心に響いていたからです。 私は以前NGOからの派遣でフィリピンにて活動していましたが、 そこでは日本のように食べ物が気軽に買える状況は無く、日本の技術とありがたさを 実感し、この言葉の重みをよく理解していました。

このように相当な葛藤があったのですが、 私たちが目指す豊かな暮らしに貢献しようと今の無農薬・無化学肥料栽培に至ります。

日々の豊かな暮らしを、健やかで笑顔がこぼれる豊かな食卓から。

・四季折々の自然を感じ、命とのつながりを肌で感じる暮らし。 ・心身健やかで、自分らしく心地よい暮らし。 ・地域にしっかりと根差した暮らし。

そんな「豊かな」暮らしがそれぞれのご家庭で営まれることを目指して、 これからも畑や心を耕していきたいと思います。