つちのと舎の思い

コウノトリも飛来する島根県雲南市で在来種の稲を育てています

つちのと舎は、夫婦二人、島根県雲南市でお米を中心とした農業を行なっています。 田んぼを始めて10年ほどになり、3反5畝の田んぼで8種類の在来種の稲を育てています。(2024年10月現在) 育てた稲から選抜した籾を自家採取し種を継いできました。

米ぬか、藁のみを肥料とする冬期湛水で冬の間も水を絶やしません。 土にトロトロ層ができ雑草は生えなくなり生物多様性のある田んぼに変化していきます。 見たことのないとんぼの数、ミドリカメ、ヘビなどがおり毎年毎年発見があります。

苗八作といわれるように、育苗をとても大事にしております。 育苗は田んぼに苗代を作る水苗代で作り、根の良く張った稲を手植えで深水管理するととても分結が多くなります。 中干しはせず、稲刈り時期だけは水を抜き、手刈り(一部はバインダ―も使って)で収穫、はで干しで稲穂の栄養素を米粒に集め脱穀。 ハーベスターで籾と分けられた藁と精米にしたときに出た米ぬかは田んぼに戻し肥料にしています。

自分の本当にやりたいことを見つめ直したとき、農業にたどり着きました

私たち夫婦は元々東京で生まれ育ちました。 夫の私浩己は、大学卒業後は分譲マンションの不動産会社で営業職をしておりました。 東京では新宿で一人暮らししていて、大学生時代から食べるものは大量生産される添加物がたくさん入った安いものばかり。 ある日めまいがして起き上がれなくなったことで、食べ物をしっかりしなくてはと思ったのです。 サブプライムローン問題を機に不動産会社を止め、自分が本当にしたいことを見つめなおし有機農業や環境問題に関心がうつっていきました。 それまでコンビニ食、ファーストフードなどを疑問に思わなかったので、実際に有機農家さんが作った野菜を食べていると、自分の身体の変化に驚きました。 その後有機農業研究会青年部に入り、家の近くの有機農家さんの畑で研修をしていました。 その頃に自然農法の福岡正信さんの「わら一本の革命」という本を読み、衝撃を受けたのが今でも田んぼを続けているきっかけです。

妻の裕美は、大学在学中から体づくりに携わり、トレーナー、エステティシャン、セラピストなどを仕事としておりました。 体と向き合ううちに、食、そして農への興味がわき、農ある暮らしを志向するように。 東京近郊では農業が難しいと考えていたこともあり、311の震災をきっかけに東京からIターンで島根県雲南市に移住。 移住後は雲南市地域おこし協力隊として活動して、現在もサポートデスクスタッフをしながらつちのと舎での活動と合わせて、元気な体づくりと、元気な地域づくりをテーマに、小中学校のダンス講師など忙しくしています。 移住当初は農業を一緒にやるプランもあったのですが、妻の仕事が忙しくて完全に農業にを一緒というわけにはいきませんが、力を合わせて夫婦二人で頑張っております。

島根に移住した当初は県の農業体験制度を活用し、近くの農家さんで水稲の栽培管理、ぶどうの栽培から販売まで学びました。 3年間して雲南市の制度で農地付き空き家を購入。 現在は、自家焙煎珈琲で出店をしつつ、家の近くの3反5畝の田んぼで在来種8種類の稲を育てており、その中で主要に作っているのが自然農向きの強い品種「ハッピーヒル」と「旭一号」です。

安全な食べ物を次世代の子供達へ残し、多様な生き物が暮らす田んぼになることを願って

田んぼでは雑草管理が大変で、慣行農法の方は除草剤を使わざるをえなくなっています。 しかしそれによって、さまざまな問題が起きています。 水質汚染や、日本ミツバチを初め、生物多様性への影響、人間への健康リスク。 安全な食べ物を次の世代の子供たちへ何が残せるかを考え、農薬や化学肥料を使わない安全な命のある種を毎年継いでいます。

冬期湛水を続け、田んぼ見ているとの生態系の変化に敏感になります。 今年は、カメが多いな、カエルが多いな、サギがいつ行ってもいるななど、いろいろな発見があります。田んぼの水は山水から引いているのですが、梅雨の時期には蛍がちらほら。 この間田んぼで蛍のエサとなるカワニナも発見できました。 パーマカルチャー(循環型の生活スタイル)デザインコースの資格を生かして、田んぼの近くでも蛍を増やしたいと思っています。

冬期湛水は生物多様性を豊かにし、兵庫県豊岡市の提唱するコウノトリを育む農法でも必要条件になっています。 私の住んでいる島根県雲南市でも8年前より天然記念物のコウノトリが飛来しており産卵し繁殖しています。 家の近くに巣塔があり、微力ながらも私の田んぼで冬期湛水を続けいずればコウノトリの飛来する田んぼになることを願って活動をしています。