くらしを耕す会について

飛騨・木曽川流域で作る人、運ぶ人、食べる人のつながりをつなげています

くらしを耕す会は、1989年の設立以来、飛騨・木曽川流域を中心に、作る人、運ぶ人、食べる人のつながりを広げ、「流域自給」を体現してきました。 現在、有機農家が運営の中心を担い、”食”と”農”の「顔の見える関係」を大切にして、地元の農産物を中心にお届けしています。 取り扱い品は自信を持ってお薦めできる「環境と体にやさしい選りすぐり」ばかり。 食べ方は生きかたです。 地域で大切に育てられた野菜から季節を知る、本来の味を知る、身体がよろこぶ、それがまた生産者さんの応援になる。 そんなゆたかな暮らしを一緒にはじめてみませんか。

地域自給の先に見据える豊かなくらしを目指して

十数年前、木曽川上流の町に産廃処分場建設計画が持ち上がりました。 処分場から排水が木曽川に流れ込めば、下流に住む私たちの飲み水や、知多半島の農業用水も汚染されるかもしれない… この問題に取り組むうちに、処分場に持ち込まれるゴミは、私たちの豊かで便利な暮らしが生み出していることに気づきました。 そして、下流の暮らしと上流の森や田畑はつながっていて、街の人たちが安心して暮らすには、上流の森や林が守られ、農薬や化学肥料に頼らない健全な農業の営みが欠かせないことを実感したのです。 以来、地域自給の先にはっきりと見えてきた「流域自給」がくらしを耕す会の目指すところとなりました。

かつて、私は無農薬農業にいい印象がありませんでした。 野菜はきれいじゃないし、儲かっていない。 そんな風に思っていたのですが、2007年頃に父が癌になったことと同時期に自身の結婚をきっかけ農業を継ぐことを決意します。 始めた当初3〜4年は思い通りに行かず、本当に辛かったです。 もうどうしようかと言う気持ちでいっぱいでした。 そんな時、ある畑見学をした時に知った農法を取り入れ、そこからうまく栽培できるようになったのです。 出来ることが増えるた時の喜びは一塩でした。 今でも父の代からのお客さんもいるのはとても嬉しいことです。

くらしを耕す会の設立は平成元年です。 有機栽培自体珍しい頃でした。 設立後はうまく運営していましたが、創設者は事故で突然の他界… 設立当時に野菜セットを販売していたのは私の父です。 今いるお客さんに野菜を届け続けなければならないと言う気持ちから代表に手を挙げました。 だんだんと会の売り上げが傾き始め、歯止めが効かなくなったタイミングでの就任。 自分の農業も大変でしたが、うまくいっていない今だからこそ心機一転やっていけるのではないかと考えたのです。 なんとか存続の危機を脱し、会をどう運営していくか悩みながらすすめてきました。 今でも探り探りの状態ですが、協力するスタッフ皆で知恵を出し合って新しいことにチャレンジしていきたいと思います。

発足時の思いを大切にこれからも活動を続けていきます

初代の理念として、環境への配慮、ものを大切にすると言ったことがあります。 梱包資材などリサイクルしつつ壊れるまで使うなど、小さなことから理念を受け継ぎたい思いが強いです。 この会はもちろん、地域や自然、食の未来を守っていきたい。 そんな思いで私たちはこれからも会を存続し、皆様においしいもの良いものを届けていきたいと考えています。 単なる消費者、単なる生産者から脱却し、人のつながりを結びなおし、豊かなくらしをともに実現していきましょう。